【コラム】『ロマンとそろばん』~ソフト会社CEOの独り言~

第38回 私、失敗しないので 2016年12月21日配信

この言葉は、最近人気のテレビドラマ「ドクターX」の主人公、外科医 大門未知子の決め台詞である。彼女はどんなに難しい手術でも必ず成功させてみせるスーパードクターだ。何とも恰好いい。私も1度ぐらいは言ってみたいものだ。

さて私は、34歳で会社を創業してから、これまでの30数年間は、大門未知子とは正反対のまさに失敗の連続ばかりだった。ただ幸いにして、友人や社員や家族に恵まれ、顧客に恵まれ、そして時代にも恵まれたおかげで、大した努力もせず「運」のみで何とかやってこれた。

これまでに失敗は数え切れないほどあるが、その中でも、特に印象に残っていることを今回は書こう。

まず、プライベートなところから挙げると、

(1)
好きだった女性に振られ、会社の帰りにバーでやけ酒。酔い潰れて気が付けば、そこは自宅でなく何と会社のトイレ(日本式)に顔を突っ込んで寝ていた。朝どうしてここにいるのか同僚に聞くと、昨夜、酔い潰れた私を二人がかりで会社に運んできたものの、私がトイレでそのまま寝込んでしまったため、仕方なく帰宅したとのことである。
私は朝まで便器とのご就寝だった。

(2)
友達と東北へ車で旅行に行ったときのトラブルも思い出す。
地元の車のあまりにもスローな運転に我慢できず、つい追い越したところで覆面パトカーにあえなく御用。これにはまだ続きがあって、次の日も、また同じように追い越しで覆面パトカーに2日連ちゃんのスピード違反で捕まるという最悪の事態に。自分の軽率な行動から楽しいはずの旅行気分が一挙に吹き飛び、その日は一日中腹の虫が収まらない最低のドライブになってしまった。

(3)
彼女との初めてのデートに寝坊して1時間以上遅れてしまったこともある。もう駄目かと諦めながらも待ち合わせ場所に行くと、なんとまだ待っていてくれたのである。それが今の奥方になっている。もし私があそこで諦めていたら、彼女はたぶん「他人の妻」になっていただろう。幸いにして結果オーライだったが、通常これはNGである。
しかし人間、何事も諦めてはいけません。

(4)
仕事面での最大の失敗といえば、台湾に進出したことである。

1996年、子会社の「台湾インターコム」を設立し、新しい事業をスタートさせた。90年代は、当社と同じように、台湾を足掛かりにして世界進出を目指す日本のベンチャー企業が出始めていた。

「台湾インターコム」では、とても優秀な現地社員が働いてくれたにも関わらず、6年足らずで撤退を余儀なくされてしまった。失敗の原因は、何といっても自分の描いた利益を生み出すための事業モデルや市場の見通しがまったく薄っぺらだったからである。

当社は、1985年ごろに、韓国の販社を通して韓国大手企業5社に端末エミュレーターを納めるビッグ商談を成功させ、その数年後には中国コンピューター企業の最大手である中国長城計算機集団公司への売り込みも成功させた経験がある。

世界で売れそうなビジネス向けの商品を揃えていたので、私は台湾ルートを作りグローバル市場(米国、ヨーロッパ、中国など)で売り出せば、これらを韓国以上に販売が見込めるのではないかと考えた。

しかし、現実はそんなに甘くなかった。
1つの大きなミスは、事業計画からだけでは見えない、日本と異なる台湾市場のトレンドや企業風土の違いを見抜けなかったことである。

台湾にはIT関連の企業はたくさんあるが、総じてPCや半導体、スイッチやマルチメディアなどのハードメーカーが多い。ソフト会社は存在するものの、多くはハードに組み込んで使うユーティリティやドライバー類を開発する小規模なメーカーがほとんどだった。
また、国内に企業向けソフトの市場もまだ形成されていなかった。

数年間は計画に沿って日本製ソフトの販売に専念した。しかし、ビジネスは何事も起こらなかった。企業向けソフトの販路開拓や販促の手段が未整備だったことと販売の経験が脆弱だったことなどが原因である。こうした、自分の描いたビジネスモデルの甘さから、結果として日本製ソフトの扱いを取り止め、その後は「台湾インターコム」製パッケージソフトの開発に切り換えるという方向転換を余儀なくされてしまったのである。

1年ほど経った後、業界に先駆けてパソコン向け初のH.232のテレビ電話ソフトを完成させ、今度こそはと意気揚々と新しいビジネスをスタートさせた。しかし、ここでもまた市場見通しなどの甘さが露呈してしまった。大きな原因は、このソフトを快適に使うための通信回線がまだ十分揃っていなかったことである。

当時は、インターネットといっても通信回線は低速な公衆回線が主流で、今日のようなWi-Fiや光回線などの高速回線はまだ普及していなかった。そのため、テレビ電話ソフトとして実用に耐えられるような商品には至らなかった。

商品としての時期尚早感は思いながらも、開発したソフトをなんとか日本市場で売り出したいという焦りから、大きな展示会に出品したり、何度も雑誌や新聞などに広告を出稿したりした。

しかし評価段階で、仕事にはまだ使えない未完成商品として雑誌に書かれてしまい、また失敗を繰り返してしまったのである。

最近、私はテレビの対談や雑誌などで、プロ野球で元ヤクルトの監督だった野村克也さんがよく話していた、あの言葉を思い出す。

『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』である。

この言葉の私の解釈は、勝負に勝ったときは、勝った理由がどんなことかわからない場合もある。もしかしたらマグレだったかも知れない。
しかし、負けたときには必ず負けた要因がどこかにあるはずである、と。

台湾での失敗はよき経験として捉え、最近では常にこの言葉をしたため、何かを興す際は必ず思い出し、“失敗”を再び起こさないよう自分自身を戒めている。特に、「何とかなる」と「自分は精一杯やっている」の、自分勝手な言い訳は持たないよう努めている。

いつかは言いたい「私、失敗しないので」。

株式会社インターコム
代表取締役会長 CEO 高橋 啓介


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