【コラム】『ロマンとそろばん』~ソフト会社CEOの独り言~

第44回 心のままに35年 2017年6月21日配信

当社は、今年の6月で創業35年を迎えた。

自分の誕生日のことは聞かれてもあまり面白くないが、会社の誕生日のことを聞かれるのはちょっと嬉しい。自慢もできる。

私は当社のことを未だにベンチャー企業と言い放っているが、年代的に見れば、すでに一昔前のIT企業だと心得ている。しかしその分、愛着は深い。

ここのところ、会社の広報が記念ロゴを作るとかサンプルを見せに来ていたので、薄々は何かやるなと感じていたが、前日になって、突然、「全員で記念写真を撮る!!」との案内があった。まったく、いつだって直前に言う奴らだ。

全員は集まれなかったが、それでも集合写真はいい記念になった。下記のホームページにも公開したので、ぜひご覧ください。
おかげさまで35周年

この数日はFBなどで皆様からお祝いのコメントをいただいたので、今回は「創業35年」について綴ろうと思う。

1982年がインターコムを創業した年である。
35年前で、私が34歳のときのことだ。

国内で発表されたばかりのPC向けに、ただただ、自分の好きなパッケージソフトを開発したい一心で、事業をスタートさせたのが動機である。

お金儲けとか、会社を大きくしたいとか、有名になりたいとかは一切考えなかった。前の会社で受託ソフトの開発をいやというほどやらされ、すでにエンジニアとしての高い志や情熱は燃え尽きかけていたので、一からオリジナルソフトを開発できるのは、この上ない喜びだった。

社会に認めてもらえるような自分の作品を生み出し、万人に使って貰えたらそれだけで嬉しいと、とてもピュアな気持ちだった。

ただ、そんな安易な船出だった故に、起業直後の会社運営はいつも運転資金の問題に追いかけられ困窮を極めた。一緒に働いてくれた社員への給料は出世払いをお願いし、1年近く無給で働いてもらったほどだ。

当時、私にあったものと言えば、通信関係のプログラミングができる程度のノウハウぐらいだった。前の会社で得た知識である。

インターコム創業当初は、2種類の通信ソフトの商品開発からスタートした。企業向けの端末エミュレーターとコンシューマー向けパソコン通信ソフトの「まいと~く」である。

企業向けの商品で、最初に声を掛けてもらったのはPCメーカーからである。当時は国内に10数社のPCメーカーがあり、ちょうど彼らもPCを端末にする市場を狙っていた。

彼らは自分で開発するより通信ソフトをOEM(相手先ブランドでの販売)した方が手っ取り早くインテグレーションできるとのことから、完成済みの当社の商品を採用してくれたのである。

また同じタイミングで、他のPCメーカーやSIerからも同様の商談が舞い込んできた。そんな毎日が続いたため、私の本来の仕事だったソフト開発を集中できなくなり、社長兼営業兼その他雑務の時間に忙殺され、商談や接待で時には夜中まで時間を費やすことになった。

また、OEM提供ということで、契約金額も我々のような弱小企業にとっては半端ないボリュームに膨れ上がっていった。

一方、同時に商品化を進めていたパソコン通信の「まいと~く」も、発売直後から信じられないような勢いで動き始めて行った。ちょうど今のSNSにも似た勢いで流行り始めた時期であり、そのブームに乗って、「まいと~く」は爆発的に売れた。

この商品は、多くのユーザーからその先進性とユーザビリティが評価され、ベストセラーとなり、雑誌、新聞、テレビなどで幾度となく取り上げられた。日経BPからは9年連続で、ユーザーが選ぶNo.1通信ソフトとして、毎年金賞を受賞したこともある。

新しいバージョンの発売時期ともなれば、およそ週に一度、郵便局員が大量のバージョンアップの申込書が詰まった布袋を運んできてくれた。私は彼らを見つけては、いつも「サンタがプレゼントを運んできてくれた!!」と比喩したものだ。

こうして企業向けもコンシューマー向けも、私の想像を越す勢いで、あれよあれよという間に販売本数が膨らみ契約金額もうなぎ登りに上昇していった。

当時、自宅でよくビールを飲みながら、“濡れ手で粟のような”この状況を思い浮かべては一人ほくそ笑んでいることもあったような気がする。

鼻高になってしまうが、この時期、当社の所在地がある上野税務署管轄内で、法人所得申告金額が何と全体で第2位(新聞報告)になったこともある。たかだか30名ほどの弱小ソフト会社で、思いもよらない大きな数字を残す結果となった。

創業してから何年か経ったころ、私は、下記のような企業理念を作った。
『商品とサービスを通して、お客様に“夢と感動”を提供したい!』

自分が今、実際に体験したことをそのまま行動指針として将来へ残しておきたかったからである。もし業績が伴っていなければ、たぶん、このような企業理念にはならなかったと思っている。

現実的な方法に言い換えるなら、パッケージメーカーとして、“もの作り企業に徹する”“誰もが作れない革新的なプロダクトにこだわり続ける”“日本一エキサイティングな会社を目指す”“創業時の初心を忘れずベンチャースピリッツ溢れた企業を目指す”という企業目標である。

当時は、前の会社で通信技術のノウハウを蓄積していたから、たまたま通信ソフトを商品化しただけかも知れない。PCの時代が始まったから、たまたまその将来に向けてパッケージソフトを商品化しただけかも知れない。どこよりも早く通信ソフトをリリースしたから、たまたまPCメーカーからリクエストがあっただけなのかも知れない。

大した戦略などはなかった。
すべてが偶然であり、単純にタイミングと運と人に恵まれただけではないか。

今振り返ってみると、インターコムが軌道に乗れたのは、最近覚えた言葉で言い換えるなら、誰も競合がいないブルーオーシャン市場でビジネスを実践したからうまくいけたのである。

これが、今日のように、すでに市場が熟し、競争会社がたくさんひしめくレッドオーシャン市場で商品を提供していたなら、あんなにはスムーズにいかなかっただろう。

PC黎明期のような、ライバル不在のブルーオーシャン市場でのビジネスの方が、いかに物事が容易に進み、かつ独占的なポジションで勝負することができるというものだ。

そう、まさにインターコムはブルーオーシャンを泳いでいたのだ。
そのときはまったくわからなかったが。

ソフトメーカーとして35年経ち、ようやく確信できたことは、これだけ競合がひしめくビジネスの中にあって、やはり基本は、いかに先進的で独創性が高い提案を目指すことに尽きる、ということであった……。

さて、コラムで一番難しい点は、最後をどう締めるかである。
今日は35周年を思い、これにしよう。

『目指そう! 100年企業』。

株式会社インターコム
代表取締役会長 CEO 高橋 啓介


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