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【コラム】『ロマンとそろばん』~ソフト会社CEOの独り言~
第65回 徒然なるままに平成最後を想う 2019年3月20日配信
今年のゴールデンウィークは10連休になることが決まった。
政府によると、天皇陛下が4月30日に退位され、皇太子さまが新天皇に即位する5月1日を今年限りの祝日にするということらしい。
そうか、平成もあと1か月余りなのだ。
振り返ってみると両親が生まれた「大正の時代」、私達の「昭和の時代」、そして今年4月に終わろうとしている「平成の時代」と長い時間が流れたのだ。
今回のコラムは、私が過ごしてきたこの数十年間を元号でくくって振り返ってみる。
私は第一次ベビーブームが始まった戦後間もない「昭和の時代」に生まれた。作家の堺屋太一さんが名付けたあの団塊の世代であり、間違いなく「昭和」の人間である。
幼少時代から学生時代へと、そして24歳で就職したソフト会社まで、これといって何の変哲もない暮らしが続いた。8年後には結婚して子供も二人もうけた。このころになると部下ができ課長職にもなったが、相変わらず仕事は毎日がありきたり、将来に向けてのビジョンや夢などは何一つ持っていなかった。
「会社をやろう」……それは突然やってきた…………。
あるとき、NHKの選挙速報システムの開発責任者として、IBMの通信技術を使うソフト開発の仕事を任された。この体験こそが、後にインターコムという通信専門のソフト会社を起業する礎となったのである。
昭和55年(1980年)、東京の晴海でビジネスショーが開催された。行ってみると展示場の中でひときわ賑わっているブースがあった。沖電気が業界に先駆けて8ビットのビジネス用パソコン「if800」を発表したのである。
当時、私が携わっていたのはミニコンと呼ばれるコンピューターだった。CPU、メモリ、FDD2基、ディスプレイ、プリンターのセットで1000万円以上もした。それに比べ「if800」は、ほぼ同じ構成のオールインワンで100万円を切る衝撃的なプライスだった(今のパソコンに比べるとかなり高価だが)。
このパソコンを見たとき私の目から鱗が落ちた。「これからはパソコンの時代がやってくる!!」と強く心を揺さぶられた。
それから数か月して、日経BPの「日経バイト」誌を読んでいると、今度は米国のあるベンチャー企業が、パソコンを使ってIBMのホストコンピューター向けに、3270端末エミュレーターというソフトを商品化したという記事が載っていた。
この記事を見たとき再び私の中で稲妻が走るのを感じた。これなら今自分が持っている技術で商品化できるのではないかと、何かの強い力が私を突き動かし始めた。
「パソコン」「通信」「未来」という3つの点と点が線で結ばれ、あの林修さんのように、「今こそ決断するときではないか」と、頭の中でくすぶり続けていた導火線に火がついた。そして、数か月後には前の会社に別れを告げ、自分のやりたい新たな目標に向かって一気にエンジンが始動したのである。
しかし、後先考えず起業したことでインターコムの運営は開業時から混迷を極めた。私に付いてきてくれた社員にも、あるとき払いの催促なしで、1年近く無給で働いてもらった。私は寝食を忘れ、朝から真夜中までぶっ通し働いた。今なら最強のブラック企業であろう。それこそ正に典型的な昭和の働き方だ!
幸いにして会社は2年目から黒字に転換、無借金で事業を進めることができた。その後も順調に業績が伸び、創業から5年目の昭和62年(1987年)に差し掛かったとき、初のコンシューマー向けパソコン通信ソフト「まいと~く」を発売した。
このソフトは時流に乗り売れに売れた。数年後にはこのソフト1本で年間10億円を超えるベストセラーにまで成長した。パッケージに入れるフロッピーディスクのコピーは、あたかも毎日お札を刷っているかのようにも思えた。
こんな弱小企業が短期間でここまで売上を伸ばすことができたのか、今でも信じられない。たぶん、かなり運に恵まれたこと、通信というカテゴリに的を絞って商品を開発したこと、そして誰も手を付けていない新しい分野でいち早く商品をリリースできたことなど。今思えば、どこにも競合がいない静かな「ブルーオーシャン」市場でビジネスをやったことがうまくいった理由であろう。これはまさに「昭和」の企業スタイルだ!
しかし、うまい話はそう長くは続かないのだ……。
平成9年(1997年)に会社を興して以来の大事件が起こった。それは、成功しているかのように見えていた「まいと~く」で起こってしまった。
一般の電話回線上で動いていた「まいと~く」は、当時、急速に普及し始めたインターネット革命の波に飲み込まれて、一気にそのシェアを失ってしまったのである。
テキストベースの「まいと~く」に対して、インターネット回線で高速に通信ができ、しかもグラフィック表示や音声まで使えたWebブラウザーにより完全に性能面で劣ってしまったからだ。加えて、Windowsに無料にバンドルされてしまったときはダブルパンチを喰らい、市場からの撤退を余儀なくされてしまった。
その結果、発売から10年ほどで売上がゼロ近くにまでなってしまったのである。幸いにして、そのときインターコムには「まいと~く」の他に、端末エミュレーターや、EDI、銀行向けなどのOEM商品もあったので倒産という二文字だけは免れた。
今思うと、この事件は私自身がインターネットという波の大きさを見誤ってしまったことが最大の原因であろう。もう少し市場の流れや他社ソフトの動向を注意深く感知していれば別の対策も取れたような気がする。
しかし時すでに遅しである。まさに、あのダーウィンの「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることができるのは、変化できる者である」の名言通りになってしまった。
以来、私はこのときのことがトラウマとなり、重度の心配性人間になってしまった。20年以上経った今でも、この心配性の虫は「良くも悪く」も私の身体の中で生き続けている。
そう私にとって、またインターコムにとって昭和は「行け行けどんどん」の時代だったが、平成は「成長と奈落の底の両方を味わった」時代だった。
次の元号ではどう変わるのだろう! 楽しみだ!
株式会社インターコム
代表取締役会長 CEO 高橋 啓介
設立40周年動画
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