【コラム】『ロマンとそろばん』~ソフト会社CEOの独り言~

第92回 「てっぱつ」な偉人 2021年6月16日配信

私が生まれた千葉県の南房総市では大きいことを方言で「てっぱつ」と言う。

この方言、しばらく聞かないので忘れかけていたが、たまたま郷里の友人と話していたとき耳にした。どうやら田舎ではまだ普通に使われているようだ。

「てっぱつ」と聞くと、いつも私の脳裏で2つのことが蘇る。

1つは、南房総市のお寿司である。とにかくシャリ(ご飯)がバカでかい。ネタを載せるとご飯が大きくはみ出すほどである。これが旨いと思うかは個人の好みだが、とにかく南房総市でお寿司を食べるとお腹が一杯になる。まさに「てっぱつ寿司」である。

もう1つは、南房総市が生んだ「てっぱつ」な偉人、国際映画俳優 早川雪洲さんの存在である(以降敬称は省略する)。

1957年に公開された英・米合作映画の『戦場にかける橋』で、日本軍捕虜収容所所長の斉藤大佐役を演じたあの強面(こわおもて)の俳優といえば思い出される方もいるのではないだろうか。

この映画は第30回アカデミー作品賞を受賞した。雪洲自身も日本人初の助演男優賞にノミネートされている。

映画の中で頻繁に流れていた、ミッチミラー楽団の口笛をフィーチャーした挿入曲「クワイ河マーチ」も大ヒットした。ちなみに私が生まれて初めて購入したレコードがこのサウンドトラック盤である。

雪洲は1886年(明治19年)に、現在の南房総市千倉町で生まれた。実は私もこの千倉町出身である(生まれは昭和だが)。

最近、千倉町の海岸沿いにある防波堤に雪洲の壁画が描かれていることが新聞に掲載され、同市内にあるインターコムR&Dセンターへ行った帰りに見学してきた。

そこには、写真にあるような若い頃の雪洲の素顔が描かれていた。どうですか? なかなかハンサムでしょう。(写真1、写真2を参照)

私は、生まれが同郷ということもあり雪洲の名声については小さいときから聞かされていた。30代の頃、仕事でロサンゼルスを訪れた際、ハリウッド大通りにある『ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム』(名声の歩道)へ雪洲の刻印を見に行ったこともある。

この歩道には、音楽や映画、テレビなどの分野で活躍した世界中の有名人の名前が星形のプレートに刻まれていた。雪洲と並んでマリリン・モンローや三船敏郎などの刻印があり、なんとも誇らしかったのを憶えている。

話を雪洲に戻そう。雪洲は21歳のとき単身渡米し、1910年代にはハリウッドで映画デビューしている。太平洋戦争が勃発する30年以上も前のことである。

雪洲が21歳のとき、千倉の白浜沖でアメリカの汽船が座礁するという事件が起き、村が総出で救難を行うことになった。その際、雪洲は英語を学んでいたことが重宝され通訳の手伝いのようなことをして走り回った。

この出来事が彼にアメリカ行きを決意させるきっかけになった。事件からわずか4か月後、一人横浜からアメリカへと旅立ったのである。

たった数か月のうちに、アメリカ行きを決意させたこのときのモチベーションとはいったい何だったのであろうか!

最初に到着したのはワシントン州のシアトルである。その後は他の日本人と同様に、農作業などの単純労働に就きながらシカゴ大学へ通った。しかし日々の糧を稼ぎながらの勉強は困難で、大学には1年籍を置いただけとなった。

その後、シアトルからロサンゼルスへ居場所を変え、様々な労働をしながらしばらくは先の見えない辛い日々を送ることになったのである。

ロサンゼルスでは演劇好きの日系人が集まり、雪洲は現地の日本人向けの芝居を演じる劇団員の一人として、主役まで張るようになった。

さらには、当時ヨーロッパで流行していた、パリで暗躍する日本人スパイの物語を戯曲にした『タイフーン』を上演してアメリカ人にも見せようと考えた。日本人役を本物の日本人が演じることで、折からの黄禍論(黄色人種の脅威論)と相まってアメリカでも大ヒットした。

このとき初めて彼は「早川雪洲」を名乗ったのだ。

そして公演3日目にこの舞台を映画監督のトーマス・H・インスがたまたま見たことが、雪洲の運命を大きく変えることになったのである。こうして雪洲はいよいよ映画の世界に突き進んで行くことになった。

その後のことは、またの機会に話すことにする。

さて、このコラムを書き始めた数日前、日本経済新聞に興味深い記事が掲載されていた。『「未知の自分」探そう』というタイトルで、工業デザイナー奥山清行氏がこんなことを話していた。

「経済力も市場規模も日本の世界での存在感は下がるばかり。中途半端な大きさの日本にしがみついていたら、世界から取り残されてしまう。若者の内向き志向は日本の競争力や成長力を間違いなく衰退させます。感性が新鮮な時期に海外に出た方がいい。現地に行けば自分の存在意義や課題や目標が見えるし、それがかけがえのない人生の財産になる」、そして「日本を捨てるくらいの覚悟で挑戦してほしい」と……。

この記事を読んだとき、まさに雪洲が21歳で渡米したときの決意のようなものが、最近の日本の若者には希薄になっているように思えてならなかった。

今、若者に言いたい「てっぱつなことを考えよう!」

▼写真1:防波堤アートの雪洲(肖像画)

写真1:防波堤アートの雪洲(肖像画)

▼写真2:防波堤アートの雪洲(映画「チート」のワンシーン)

写真2:防波堤アートの雪洲(映画「チート」のワンシーン)

株式会社インターコム
代表取締役会長 CEO 高橋 啓介


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